ウエスト症候群その「いつもと違う」に気づくために

早期発見啓発・見逃し事例集

家族の体験を、次の気づきへ。

印刷用PDF(A5・74ページ)

配りたい方は印刷してお使いください

※制作中の仮版です(会長・医師のコメントは原稿待ち)

会長・医師からのコメント

会長より

原稿待ち会長からのコメントをここに掲載します。

医師より 寄稿コメント

原稿待ち医師からの寄稿コメントをここに掲載します。

この冊子について

この冊子は、ウエスト症候群を経験したご家族から寄せられた20の体験談をまとめたものです。発症時の違和感、受診や診断までの経過、その後の治療と暮らしを、それぞれの言葉で伝えます。

名前とペンネームは掲載せず、事例番号で整理しています。本文中のお子さまの名前は「息子」「娘」などに置き換えました。それ以外の体験談は省略せず収録しています。

注意書き

※本症例集に掲載している医療情報は、各患者さんの当時の病状や経過をもとに、それぞれの医療機関で行われた診断・治療等に関するものです。病状や適切な対応は患者さんによって異なるため、掲載内容がすべての方に当てはまるものではありません。お子さまの症状について気になることやご不安なことがある場合は、主治医や医療機関にご相談ください。

年齢や治療内容は寄稿時の記述です。掲載順は整理用の事例番号順であり、重症度や治療の評価を表すものではありません。

目次

  1. 01「しゃっくり?」と思っていた動き
  2. 02娘の異変に気づいてから
  3. 03生まれてすぐの違和感から診断へ
  4. 04「おかしいな」から受診へ準備中
  5. 05就学と学校生活、リハビリ準備中
  6. 06治療と療育、日々の支え準備中
  7. 07最初の発作から診断まで準備中
  8. 08学校で積み重ねる日々準備中
  9. 09診断から、成長を見守る日々準備中
  10. 10暮らしを支える福祉サービス準備中
  11. 11ケトン食と学校生活準備中
  12. 12発症から診断、家族の歩み準備中
  13. 13治療と家族の暮らし準備中
  14. 14「今」と向き合う生き方準備中
  15. 15診断後の治療を振り返って準備中
  16. 16発症時の気づき準備中
  17. 173つの「こ」育て準備中
  18. 18病気を知り、動きに気づく準備中
  19. 19「なんか変」から早い受診へ準備中
  20. 20発達を見守る、複数の目準備中
  21. 写真でつづる日々準備中

※「準備中」の事例は、冊子の完成後に掲載します

CASE 01

「しゃっくり?」と思っていた動き

寄稿時のお子様の年齢
6歳
発症時の月齢
0歳8ヶ月

◇闘病事例・体験談

テーマ:発症から診断まで

今回、発症から診断までの事を思い出しながら書くのは、少しまだ心がチクチクしますが、非典型的なウエスト症候群と診断された娘の事を…私のようにしゃっくり?と2ヶ月放置してしまう方が出ないように書こうと思いました。

妊娠中も産まれてからもすくすくと育ち、思えば生後半年過ぎたあたりから、朝起きたらしゃっくりをしていた(と思っていた)。

2分もしないうちに治るから、全く気にしていなかった。

でも、うつ伏せで顔を上げた時ガクッと頭を下に落とすことが何回かあり、何だろ?と思って検索したときに初めて見たウエスト症候群。発作の動画を見ても、娘とは違うしおもちゃへの興味が薄いなとは思ってたけど、よく笑うしネットでみた発作動画のようなことはなかった。

でも、遊んでるように見えてたけど頭を落としたり、しゃっくりしたりいつまでも続くし、何となく増えた?と気になり受診。

そこからのスピードは早かった。

すぐ検査入院、脳波、髄液、血液と色んな検査をして、ヒプスアリスミアが出てなかったので退院時はとにかくエクセグランを飲んでみて、発作が増えたらまた来てね。と言われた。

それから2日で発作が増えた。

即受診その日のうちに脳波を取って、ヒプスアリスミアが出ていて即入院。検査入院時は、悪いてんかんに移行中だったみたいと言われました。

3ヶ月の長い入院生活が始まり、悪い夢としか思えなかった。

入院時も、娘はニコニコ笑うし特に発作以外なにも問題がなく、主治医には本当にウエストですか?と聞きましたが、多くの先生がチームを組んで治療すると言われ、歩けるようになるかも分からないと言われ、シャワートイレ付きの個室に入れられた時、初めてこれはとんでもないことになったと思いました。

結局、非典型的なウエスト症候群とのことでエクセグランで発作は止まったものの、脳波がまだ悪かったのでACTHを短めにやり、脳血流を良くする治療をやり、退院して3年半。思い切り走り回り、大好きな歌を大きな声でダンスしながら歌う娘。でも、発達は遅れています。

あの時直ぐに受診していたら…一生悔やむと思います。

まとまりの無い文章ですみません。

こういう事例もあると知っていただくことも大事かな?と思い書いてみました。

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CASE 02

娘の異変に気づいてから

寄稿時のお子様の年齢
3歳
発症時の月齢
3ヶ月(ウエスト症候群と確定したのは5ヶ月)
原疾患名
多小脳回

◇闘病事例・体験談

テーマ:病気の告知から現在までの治療、きょうだい児や家族、入院生活

私には2人の子がいます。6歳の息子と3歳の娘。下の子が罹患児です。息子を産んでからの初めての子育ては喜びと驚きの連続で、夜泣きやイヤイヤさえ愛おしいほどでした。こんな子どもがもう1人いたら楽しいだろうな・・・などと思い始めたころ、娘を妊娠しました。

初期に切迫流産で絶対安静となったものの、その後の経過が順調だったので、私は産休ギリギリまで働いていました。無事に産まれた娘は、大きな目をした、マシュマロみたいな肌触りの女の子でした。

娘の異変に気づいたのは、生後3ヶ月の終わりのことでした。うとうと寝ていた娘が急に目を覚ましたとき、手足を不自然にぴくつかせていたのです。熱性痙攣を疑うも平熱。寝ぼけていたのかも・・・と思ってやり過ごしましたが、翌日、また同じことが起こりました。胸騒ぎを覚えて夜間救急に駆け込み、そこから長い闘病生活が始まりました。

「てんかん疑い」として2週間の検査入院の予定でしたが、投薬治療が始まっても娘の発作は増え続け、日に10回を数えるようになります。薬の量や種類を増やしても発作は減らず、退院は遠のくばかり。

付き添い入院できない病院だったので、面会時間が終わり、暗くなった病棟に娘をおいて帰るときには、胸が張り裂けそうでした。でも、家では息子が私の帰りを待っています。絶対に涙を見せまいと、無理やり笑顔を作っていました。

そのうち、娘の発作は数秒に1回ぐっと力を込めるような型に変わっていきます。ネットや本で必死に調べるうち、「ウエスト症候群」にたどり着きました。

「予後不良」「発達遅滞」。絶望的な言葉が並ぶ中、早期治療で予後良好な例もあると知り、セカンドオピニオンとして別の病院に転院させることにしました。ほとんど笑わなくなり、頸もすわらなくなった娘をどうにかしたい一心でした。

転院先の病院で確定診断がつき、ACTHが始まっても発作は止まりませんでした。個室での付き添い入院で精神的に苦しい日々が続き、死にたいという思いがよぎる日もありました。。

「発作ばかり起こしているこの子は、産まれた意味があるのか?」「私の人生どうなるの?」産休直前まで働いた自分を責め、2人目を望んだことを悔いました。浅い眠りから目覚めるたびに吐き気がしました。

そんなとき、息子が会いに来ました。病室に入ることはできません。駐車場で会うなり泣き出した私に、息子は涙ひとつ見せず「タオル持ってきてあげればよかったな・・・」と言いました。

当時3歳になったばかりの息子の一言に、ハッとしました。私は自分のことばかり考えて、娘の病気から目を背けていた。これからは逃げずに闘おう、必ず2人を育て上げようと決めました。

入院は2ヶ月半に及び、高用量のACTHでやっと発作が止まりましたが、数ヶ月で再発。再入院の際のMRIで、多小脳回という形成異常が見つかりました。

2度目のACTHの後、1年間のロングターム投与を経て、現在はサブリルを含む4剤を服薬しています。脳波が改善され発作は減ったものの完全抑制には至らず、発達も大幅に遅れていますが、少しずつ娘なりの成長を見せてくれています。何より、抜群にかわいい笑顔を取り戻せたことが、私の最高の宝物です。

6歳になった息子は、優しくてたのもしいお兄ちゃんになりました。いま、療育センターで知り合ったお母さんと一緒に、きょうだい児支援を考えている最中です。

もし、これを読んでくださっている方が生きる希望をなくしているのなら、だまされたと思って、ただこの日々をつないでください。助けてくれる人もたくさんいます。あのときの私に、いまなら「大丈夫だよ」と言える気がします。

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CASE 03

生まれてすぐの違和感から診断へ

寄稿時のお子様の年齢
9歳
発症時の月齢
2ヶ月
原疾患名
滑脳症(厚脳回)

◇闘病事例・体験談

テーマ:就学と学校生活・リハビリや発達

9歳の男の子の母です。息子は重度肢体不自由児です。

生まれてすぐに違和感がありました。呼吸が浅い、哺乳力が弱く規定量の母乳やミルクを飲むのにすごく時間がかかる。黄疸もあり治療もしました。哺乳力が弱く呼吸も浅い所見があったため脳波を産後3日で撮りました。新生児特有の脳波とは違うと言われました。でも直ぐに病名はつくことはありませんでした。

その後黄疸治療のため数日だけ予定より長く入院しましたが直ぐに退院しました。

自宅に帰ってからもとにかくミルクの量を飲ませることに苦戦の日々。

1ヶ月検診で体重の増えが少ないと指摘されました。

生後2ヶ月頃ピクピクとしゃっくりともモロー反射とも違う不自然な動き。ママとしてベテランだった姉に相談したりネット検索もたくさんしました。なんだかわからず数日後に受診。その時部分発作・脳形成異常があると診断され直ぐに服薬治療開始しました。その頃には日に日に発作の回数は増えて1日に数十回となっていました。

しばらくは部分発作治療の日々。部分発作らしい発作が増えたり減ったりする日々でした。生後11ヶ月頃に発作が格段に強くなり大きな声を出し、苦しそうに全身をビクンビクンとさせる発作になり、これはおかしい。なんとかしないといけないと思いセカンドオピニオン。1歳頃にウエスト症候群だと診断されました。そしてMRI検査で滑脳症と診断されました。もっと早くウエスト症候群に移行していたのではないか、なぜすぐに行動できなかったのかと、当時は自分を責めることもありました。ウエスト症候群と診断されてから、部分発作の薬を中止し、ウエスト症候群に合った薬の服用やACTH療法などの治療を受けました。

現在もシリーズ発作は毎日あり、周期的に強直発作もあったり発作と付き合いがある生活をしてます。

小さい頃は少しでも発達して欲しいとリハビリ入院をしたり、いいと聞いたらなんでも試していました。首が据わって欲しい、お座りして欲しい、歩いて欲しい、普通食を食べて欲しい、そう願っていました。

息子が成長するにつれそれは難しいことなんだと少しずつ私も理解していきました。諦めたように思うかもしれませんが、そういう感情ではなく理解したという感じでした。段階を踏んで障害を受け入れたのかなと今では思います。発作も止まって欲しい気持ちは今もありますが、それがとても難しいことだと理解してからは少しでも日々の生活が過ごしやすくなる事を目標としてます。発作はできる限り少なく、弱く、生活を送る中でダメージの少ないものになってくれれば、そんな感じです。

9年経った現在思うのは、私が思っていたより障害児との生活は暗くなく、世の中にはたくさんこの子達を支えてくれてる人がいるという事。訪問リハビリ、訪問看護、ショートステイ、デイサービス、特別支援学校、日々を送る中でも何人もの方が息子と私たち家族をサポートしてくれています。障害児との生活は案外孤独ではないということ、息子が元気よく笑顔で日々を楽しんでいること、9年前の私には想像もできませんでした。感謝しかありません。

これから成長していく中で今とはちがう悩みも出てくるとは思いますが、きっと乗り越えていけると明るく未来を見ています。

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